日の出と共に――

「第一回チキチキ寝たらぬっころすレース!」
「よかろう望むところだ、夜更かしの折原と恐れられた俺の本領を――というか茜、寝るな」
「眠いです……」

 柚木はいつにも増してハイテンションだであり、かく言う俺もかなりヤバイ。茜に至っては速攻で舟をこいでいるわけだが、一人だけ抜け駆けて寝ることは許さん。
「ダメよ茜! 折原君の部屋でなんか寝て御覧なさい、明日には妊娠してるわよ」
「待て、俺は色魔か」
「しゃらーっぷ! この間プールで七瀬さんの水着に鼻の下伸ばしてた人に発言権はなーい!」
「どういうことですか浩平!」
「ち、違うんだ茜! あれはその……」
「だいたい浩平はスケベです、この間も危険日だっていうのに中に……」
「若かったあの頃ー何も怖くなかったー」
「うるせえぞ柚木! 神田川なんて歌いだすんじゃねぇ!」
 睡眠というものは人間には不可欠であり、それを怠ると思考の大半を持っていかれるというよい実例だろう。おまけに酒が入っているとなるともうグダグダだ。とりあえず朦朧としてなにを口走っているのか俺もよくわからん。
「時に折原君」
 ドン、と一升瓶を床に置き、柚木が座った目でこちらを見やる。おいお前飲みすぎだろいい加減。
「しゃらっぷ! 今日という今日はとことんまで問い詰めてやるげふぅ」
「てめぇ、喋りながらげっぷすんじゃねーよ」
 日本酒の前はビールだったからな、どうしようもない。
 ぬぅ、茜ー寝るなー。
「眠いです……」
「とにかく! あんたはいい加減すぎるのよ」
「ぬぅ、柚木に言われるとはひどく心外だぞそれは」
 俺としては会心の切り替えしだったのだが、柚木はふんと一つ鼻を鳴らしただけだ。あんにゃろう完全に自分のことは棚に上げてやがる。
「だいたいね、折原君は浮気者すぎる」
「まったくです! 浩平は気が多すぎます!」
「……茜、寝てたんじゃないのかお前」
「この間なんて長森さんにまた朝起こしてもらっていたじゃないですか! 信じられません!」
「うわー、折原君それはまずいと思うよー」
「寝過ごしたんだからしかたねーだろうが!」
「だってねぇ? 茜という者がありながら、ねぇ?」
「ぐっ、しかたねぇだろうが! 茜がなかなか寝かせてくれげふぅ」
 ビールでげっぷしたわけではなく、速攻で茜に殴られたのだ。
「シモネタは嫌いです」
「というかひょっとしてあんたら、一緒のベッドで寝てるとこ長森さんに起こされたんじゃ……」
「……」
「……」
 けっ、やってられないわ! と一升瓶をあおる柚木。お前飲みすぎだ。
「あんたねぇ、それだけラブラブなのに隙が多いのよ」
「ラブラブ言うな、お前何年生まれだ」
「んなことだから、茜という者がありながら下級生に告られるのよ」
「なっ! バカお前それは……!」
 ゆらりと立ち上がる茜さん。
 一升瓶を逆手に構えるのはやめてくださいやめてください。
「こーうーへーいー」
「ち、違うんだ茜! あれは違うんだ!」
「きゃはははは」
「てめぇ柚木! 覚えてろよ……いてっ! いててて! 茜さん一升瓶はシャレにならねっす!」
「ちゃんと茜捕まえてなさいよあんた」
「うっせーぞ柚木! なんとかしろ!」

「じゃなきゃ私が……」

 そこから先は聞き取れなかった。


「むー、折原くん、起きてるー?」
「……ああ、とりあえず茜、寝るなー」
「…………眠いです」
 現在の時刻は午前五時二十二分、そろそろちゅんちゅんという小鳥の鳴き声が聞こえ始めた。
 明日――というか今日もバリバリに朝から授業なのに、俺たちはなにをやっているのか。
「日の出は何時だっけー?」
 気だるげな柚木の声に、傍らに置いた新聞に目を走らせる。
「あー、五時四十分だからもうすぐだな」
「ん、そっか」
「だけどどうしたんだよ柚木、いきなり来て『三人で日の出を見よう』だなんて」
「んー、まぁなんとなく、ね」
 柚木の気まぐれはまぁいつものことで、そんなこいつに俺たちはいつだって振り回されて。まぁもう慣れたからいいけれども。
「茜はー?」
「あー、寝ちまったみたいだな完全に」
「そっかー」
 夜明け前というのはとても静かで、しばらくは俺と柚木、そして茜の呼吸音だけが部屋にこだました。ちゅんちゅんという小鳥の鳴き声がよりいっそう大きく感じられる。
「茜はさ」
「あん?」
 床に寝転がった柚木は、ただ天井を見上げながら、どこか独白するかのように言葉を発した。
「茜は、お姫様なんだよね」
「なんだそりゃ」
「お姫様はさ、幸せになるものなんだよね、最後にはさ」
「だからなんだよ、そりゃ」
 意図するところを掴みかね、寝転ぶ柚木に顔を向ける。表情を隠すためか、それとも違う理由か、すっと目を細めた彼女からは、何を考えているのかを読み取ることはできなかった。
「べっつにー? たださ……」
 もう柚木は笑っていなかった。
「お姫様は世間知らずだから、忘れちゃうんだよ、すぐにさ」
 もう柚木は笑っていなかった。
 その口調はいつもの軽いものではなく、細められた瞳はどこか尋常ではない色を湛えていて――
「あはは、じょーだん、じょーだんだよっ! あっ! 夜が明けてきた! 茜ー茜ー起きて起きてー!」
「ん……眠い…」
「ほらほら折原くんも! 起きる起きる!」
「……俺は寝てねーよ」
 三人で部屋の窓から見る、なんの変哲も無い日の出。
 別に初日の出というわけでもなく、とりたてて綺麗というほどのものでもない日の出。
 そして柚木は、ぽつりと、言った。

「私、引っ越すの。しばらく会えないと思う」

「え……? 詩子……?」
 絶句したところを見ると、茜もなにも知らされていなかったらしい。どこに引っ越すのかを聞いても、柚木はただ笑って答えようとはしなかった。問い詰める茜にもただ「遠いところだよ」としか言わない。

「この日の出、私はずっと忘れないよ」
「ずっと……ね」

 それが、俺と茜が見た最後の柚木だった。